八千代の歴史遺産散歩

印旛沼と新川周辺に広がる田園と山林を背景とする恵まれた自然環境が残っている八千代市内には、庚申塔などの石造文化財が約2,600点存在しています。(八千代市の歴史資料編 近代・現代Ⅲ石造文化財より)実に20平米に1体ある「石造物の街」を巡りながら四季折々の風景と風を体験して下さい。

Aコース 八千代中央駅~村上駅北部  萱田・村上

本コースは、八千代市の中心部にあって、遺跡・文化財・伝承にあふれ教育文化施設も豊富な、県内屈指の歴史エリアです。

新川の西には新しいまち、ゆりのき台が広がりますが、その開発に先行する発掘調査によって、旧石器時代~中世に至る遺跡が発見されました。約3万年前の旧石器や、縄文土器、弥生時代集落、そして「草田(カヤタ)」と書かれた奈良時代の墨書土器、平安時代の集落跡などが明らかとなりました。また、萱田にある飯綱神社は、市内文化財の宝庫の一つで、対岸の米本城を攻略した太田道灌の伝説も残ります。

新川の東では、村上団地造成や村上駅前土地区画整理などに先行する発掘調査で、やはり旧石器時代~江戸時代に至る遺跡が発見されています。佐倉の国立歴史民俗博物館に展示されていた「古代の村」模型は、ここの村上込の内遺跡のものです。市指定文化財の古墳2基、文化財と伝承の残る七百余所神社、正覚院など見所がたくさんあります。

Bコース 勝田台駅南・北  村上駅南部周辺~勝田台南部

村上駅南口には沖塚低地が広がり、かって印旛沼南端の入江だったところ。低地周辺には古墳、製鉄関連遺跡、弥生遺跡も展開する市域の中心部だったと思われる地区。ここから勝田台駅北口周辺は旧村上村の南部地域と新川寄りの旧下市場村からなっている。佐倉道の賑わい、佐倉藩治世下で江戸時代以降の石造物や神社など歴史遺産に恵まれている。

勝田台駅南口周辺は旧勝田村集落が新川を望む西側斜面に沿って展開している。台地上が大規模な住宅団地として開発され、勝田台という地名になっている。旧勝田村集落には、古墳が現存し、文化財の獅子舞が存続するほか、寺社や旧道をたどると多くの石造物が歴史遺産として残されている。

Cコース 大和田駅~成田街道~村上駅

大和田は、江戸時代の佐倉道の宿場で、大和田村と萱田町の二つの村で構成されていました。成田詣でが盛んになって、街道は成田道、成田街道と呼ばれる様になり、最盛期には旅籠が5軒、明治初年には明治天皇も習志野原の軍事訓練等の視察で大和田宿に行幸しました。二つの村にそれぞれ時平神社があり、県の文化財となっている下総三山の七年祭に両神社が参加します。

南部を流れる高津川沿いの台地には古墳など古代遺跡も発掘されるなど、古代から続く集落です。萱田町時平神社の境内からは新川沿線と周辺の絶景をながめられる景勝地です。街道沿いには神社寺院も多く、市内でも屈指の歴史遺産の豊富な地域です。

Dコース 八千代台駅から高津周辺・八千代台地区

「高津」地名は、平安時代の『延喜式』に記されている「高津馬牧」の可能性があります。藤原時平とその娘に関する伝承もあり、中世の城跡といわれる武士の館跡をはじめ多くの歴史遺産が残っています。江戸時代、馬牧「下野牧」と西で接し、旗本間宮氏が領主でした。八千代台は「旧高津新田」という地区で、戦後の高度成長期に公営の住宅団地が全国で初めて造られました。

「旧高津新田」は、現千葉市長作などから入植して開拓され、江戸時代初期の延宝4年(1676)頃成立した幕府領の村です。

高津新山(高津東4丁目付近)では、細石器や古墳時代~奈良・平安時代の住居跡が発掘され、高津新田(八千代台南、東)では縄文時代の竪穴住居、古墳とも見られる「四つ塚」地名も残っています。

この地区は、江戸時代に遡る寺院、石造物、神社など、歴史的遺産を数多く残しています。

Eコース 緑が丘駅~大和田新田・成田街道~八千代中央駅

本コースは、八千代市の南西部にあって、江戸時代の馬牧「下野牧」との境である「新木戸」から大和田宿までの間の、成田街道沿いに開かれた大和田新田を巡るエリアです。

大和田新田は、江戸時代初期の延宝年間(1673~80)頃開拓され、成立したものと考えられます。開拓者は、伊勢から入植したとか、現在の船橋市北東部に当たる神保新田の一族が入植したなどの言い伝えがあります。開拓当時の土地所有者か開拓者の名前でしょうか、貞光寺野、長兵衛野、太郎右衛門野などの小字名が目をひきます。近代から現代にかけて、大消費地を近くにもつ立地の良さと宏大な土地を利用した酪農が盛んな所で、いまもその名残が見られます。

平坦な台地から幾本もの谷筋が流れ出ており、谷沿いには旧石器時代や縄文時代の遺跡が存在します。街道沿いには、江戸時代以降の塚がかつては多く見られました。石造物は現在も多数残っています。

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